•  今週発売の週刊新潮にとても興味深い記事が載っていました。普段週刊誌は買わない私ですが、新聞広告の見出しにこの表題を目にし、久し振りに購入しました。予々、昨今目にも耳にもする「終活」ブームに違和感を覚えていた私にはとても興味深く思えました。勿論、私の仕事もこれと無縁なものではないのですが、やれ墓じまいや仏壇じまいとか、生前の遺言状等、何故其方の方向に進むのかとても疑問でした。今回は仏教思想家のひろさちやさんの金言が掲載されていましたが、まさに私がこれまで抱いていた疑問に答えてくれたようでとても感銘を受けました。(詳細は週刊新潮をご覧あれ)私も7年前に母を、6年前には父を亡くし悲しい経験をした一人として、私なりに両親の供養はしているつもりです。親が健在な時には当たり前と思う事が、いざ亡くなってみるとその当たり前な事への大切さが痛感されます。子供としては親に育ててもらった恩を忘れることは出来ません。その恩に報いるために供養等するのは当たり前の事で、特別な事ではないはずです。それが自然でしょう。「終活」という言葉が一人歩きし、マスコミなど報道で変に歪曲されている様にも感じられます。仏壇屋のオヤジの立場として言っているのではなく、一人の人間としての思いです。「死後の準備」ではなく、生かされている今を大切に生きたいものです。